気持ちいい感覚を見つけるって、簡単なようで意外と難しい…と思いませんか?

痛みは手応えがあるから見つけやすけど、気持ちいいって手応えが少ないし、
それに、感覚には正解がないから、合っているかも分からず不安になる…。
痛みをジャッジすることに罪悪感を感じたり…など。

私がこのワークを始めた頃は、身体を動かした反応で、正解か不正解を見極めていました。

その場で痛みや違和感が取れていれば「正解」、その後に痛くなるようなことがあれば「不正解」というふうに、常に自分に問い、自分で答え合わせをしていました。

そして、この経験を通して思ったのは、身体は必ず自分だけの正解を教えてくれる。身体の反応を信じて、その答えの通りに動けば、望んだ通りの道が開ける、ということです。

つまり、身体からの声は自分にとって一番の味方でいてくれるんですよね。
だから、私は常に身体の声を耳を傾け、その声を最優先に物事を判断するようにしています。

…と、私の話はこれくらいにして、本題はここからです。

まず、気持ちいい感覚を見つける為には、痛気持ちいいの「痛い」と「気持ちいい」をしっかりと分離する必要があります。

「痛気持ちいい」という「痛い」と「気持ちいい」が入り混ざったあやふやな感覚を正しいと思い込んできた私たちが、本物の「気持ちいい」感覚を知るためには、この分離する作業は必須といえます。

そして、この分離をするためには、痛みを探し、痛みに気づき、痛みを見つけ、ジャッジをする。

この作業を繰り返し、痛みを排除することで、初めて本物の「気持ちいい」が見つかります。

だから、
痛みを探してしまう自分や、それをジャッジしてしまう自分がいたとしても、それは悪いことではなく、むしろ、自分を大切にしていく上で、非常に重要で、なくてはならない自分の一部です。

これって、人間関係にもいえることなんですよね。
自分の周りを信頼できる人や好きな人で囲みたいなら、まずは嫌いな人、苦手な人を「嫌い」と認める。

苦手だけど… 好きじゃないけど… とごまかして、無理に付き合わない、自分に我慢させない。
こうして嫌いな人を自分の枠の外に出すことで、自分の周りには好きな人だけが残るんです。

同じく、自分のことを今以上に好きになりたいのなら、まずは自分の中の嫌いな人格を認める。そうすれば、必然的に自分の中の好きな人格がひときわ目立って見えるようになります。

余談ですが、この分離する力を心理学の世界では「父性/ふせい」といい、反対語は「母性/ぼせい」で包み込む力をいいます。
とかく現代の日本人はこの父性の力が非常に弱く、欠如していると言われています。

例えば、気がのらない嫌な誘いには「NO」とハッキリと答え断る力や、親子間で、我が子の問題は我が子の問題と捉えて口を出さないように境界線を引く力が、この父性にあたります。

ほんの数年前までの私はこの父性が非常に弱く、自分と他者との感情に境界線を引くのがとても苦手だったんですよね。だから、夫婦関係が上手くいかなかったり、長男の統合失調症にもうまく対応できなかったんだと、今ならわかります。

何が言いたいかというと、「痛気持ちいい」の「痛い」と「気持ちいい」を分離する作業は、自分の身体だけでなく、心の器を丈夫にする上でも、非常に重要な作業なのです。

そして、分離するためにはジャッジの過程がなくてはならない、ということを、知っておいてもらえると嬉しいです。