この記事にも書いてありますが、

人によっては
境界線を引くプロセスの過程で

自分の中の「見つめる自分」が
批判的
悲観的
過去志向だったりする傾向が強く
受容的な「見つめる自分」を育むのが難しい、といったケースがあります。

特に「批判的」なものの見方が強い時は
「3」と「4」のプロセスが難しいと感じられ
相手の考えを理解・尊重できずに

相手をコントロールしようとしたり、
自分の感情を見て見ぬふりすることで、
問題を解決しようとしてしまいます。

このようなやり方を続けていくと
相手との間に境界線が引けず

その後も心の中で
自分自身や相手のことを
攻撃し続けることになってしまいます。

以前も述べましたが、
これらの背景には、
自分の親の「ものの見方」や「性格」から受けた影響を緩める必要があり、
そのためには
親との関係を見つめ直し、
心理的に再構築する必要があります。

ここでは、チャクラ瞑想で「見つめる自分」を緩めていきたいと思います。

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冒頭にも書きましたが
境界線を引くプロセス3
「相手の考えを理解する」のが
難しいと感じられる時は、

大抵が自分の本音に気づいておらず、
見つめる自分」であるインナーペアレントが、
心のどこかで
「この考え方は本当に正しいの? 間違えているんじゃない?」
と常に疑い、ジャッジと否定・批判を繰り返しているため

「見つめられる自分・インナーチャイルド」が
自分の正しさに自信が持てず、正しさを主張できずにいます。

このようなタイプの方が体操をすると
「痛い」を探すのは得意だけど
ジャッジだけで終わってしまったり、

「気持ちいい」が見つかったとしても
その感覚に自信が持てず
気持ちよさを主張できずに終わってしまいます。

要するに
自分の正しさを認められないがために、
相手の考えも認められずに
「どうしてなの?」の否定・詮索が繰り返されます。

これが相手の考えを理解できずにいる正体です。

こういう時の対処法としては、
「これも自分の本心を守るための行為である」と捉え
ジャッジを繰り返す自分を批判せずに、赦すことが大切です。

そして、
自分自身の心の器は未熟であること、

今はまだ
自分の本心と向き合えるほどの
丈夫な心の器でないことを認め、
自分の実力を見極めます。

これが「諦める」の意

もしかしたら、
これまでの心の内は
「自分の心の器はもっと丈夫なものだ」と
思っていたかもしれませんね。

そうなると、
自分の未熟さにガッカリして、
悲しさを覚えるかもしれませんが、

そんな時こそ
「自分の実力が思ったほどでなくて、ガッカリだよね。ガッカリしてもいいんだよ。」
とか
「こんなに頑張っているのに、私にはまだまだ未熟な部分があるのね。悲しいよね。悲しんでもいいんだよ。」
というように自己受容しながら

思い上がっていた自分に対し
「ごめんなさい」「許してください」
の謝罪と懺悔を

教えてくれた相手に対し
「ありがとうございます」「愛していますor大切にします」
の感謝と愛のチャクラ瞑想を繰り返します。

そして、
このチャクラ瞑想を繰り返すことで、
自分の身の丈を知り、
地に足がつき
他者への感謝が自然と湧き上がり

富士山の頂上を目指し、
地道に歩を進めていけるようになるのです。

これがありのままの自分を見つめる=”グラウンディング”であり
日本語では
「ハラが坐る・ハラを決める」
と言った表現をします。

余談ですが、
懺悔は「負ける」というよりも
「自分の情けなさ・弱さを認める」
という意味に近いのだと私は思います。

富士山信仰「富士講」も
富士山を登る際に
「懺悔、懺悔、六根清浄」
と唱えながら歩を進めます。
詳しくはググってね。

とは言いつつも、
所詮、私たちに他者の気持ちなど理解できるはずありません。
なぜなら、人の心は目には見えないし、100%正解はないのだから・・・

それでも、
相手の考えを理解しようと努め、寄り添うことで
人間の意思に優越はなく、
たとえ親子であろうとも
対等な立場で
相手を敬い、
信頼関係を育んでいけるようになるのだと
私は思います。


あなたの魂が
ますます磨かれ
美しく光り輝いていきますように。

いつも応援しています。
読んでくれてありがとう。

アナあっぱれ╰(*´︶`*)╯